今日、わたしたちは医者にかかり、そこで処方箋をもらい、近くの院外薬局で薬をもらい、薬剤師に相談するのが当然と考えています。しかし、時間をさかのぼると、医療と調剤とが分業するまでには、江戸時代、明治時代から今日に至る経過があるのです。
■日本の医療と調剤の分業の時代的背景を考えましょう日本での薬剤の歴史は、明治時代になってからの薬品取扱規則が始まりです。これで、薬剤という資格が成立したと言えます。それ以前、漢方と蘭学医学により医療と調剤とが分業されておらず、医薬一体でした。開国となり、ドイツ医学に基づく薬品が輸入されるようになりました。
しかし、そのころ輸入された西洋医学の薬は、高価だったため、政府は、調剤を専門に扱う職業を創設し、医療と分業させ、薬を専門的にすることで、薬の質が向上し、廉価なると考え、これが薬品取扱規則となりました。試験制度も始まりました。
これが国家試験の始まりと言えます。こうして、薬剤師の歴史は明治以降からの医薬分業を経て進展し、現代に至ったものと言えます。
薬剤師の歴史は明治以降からの医薬分業を経て長い時間が経過します。その後、医師法などといった医療従事者に係る法律の成立で、さらに、医療と調剤とが分業が明らかになってきます。
さらに、終戦後には、これらの法整備がされて、医師の処方せん発行を原則として義務づけられました、今日の形に近くなってきたと言えるでしょう。今日のような薬の院外処方が推進されたのは、昭和50年頃から診療報酬での、処方せん料が引き上げられたことが契機です。
医師は、処方箋を書くことが多くなったわけです。これで医療機関が院外処方せんの発行に動き出したと言われています。当然、院外処方をする薬局には資格者の配備が法令で決められています。この時の診療報酬引き上げをもって、医薬分業の始まりという言い方もします。
診療報酬が増えたことで、処方せん料を発行することが医療機関の収入増加になることと、医療機関が薬品の在庫管理や危険管理から解放されることが相まって医療機関は、処方箋を書き薬に関しては調剤薬局に任せることが一般的になりました。
この時の診療報酬引き上げが、医薬分業の始まりであり、調剤薬局が多く開店してきました。今日の、医者にかかり、処方箋をもらって、近くの院外薬局に手帳を持って薬をもらいに行くという、当然と思える形は、このような、医薬一体から薬剤輸入、その弊害に基づく西洋の医療と調剤とが分業という考え方が法令となり、処方箋を医療機関が発行しやすくして今日に至ります。
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